2015年 12月 13日
昭島田中町の「風田社」その後
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以前の記事 史跡の管理について- 昭島市田中の風田社 の、その後です。
2014年1月の訪問時に説明板が真っ白で読めなかったことをここで書きました。
2015年6月、行ってみてびっくり、「扁額(へんがく)」がありません。
(扁額は「神額」とも呼ぶようです。先日のブラタモリでは「神額」と言っていました)
落下紛失?劣化による処分?まさか盗難?など、暗いことを考えて帰宅。
ちなみに説明板は真っ白なままで、木の枝に隠れて見えなくなっていました。
2015年12月、どきどきしながら再訪。そしたら、何と真新しい扁額が!
栓材(ハリギリ材)やケヤキ材の他に、近頃は塩ビ製のものまであるそうですが、
ここのは石材で、頑丈そうな爪できちんと取り付けてあります。
かなり手をかけて、大事にされているという印象を受けます。
説明板の方はまだ真っ白でしたが、こちらにも期待がかかります。
とはいえ、後で調べたら、この風田社は市や都の史跡ではなく、地元の方々が
自力でお守りしている祠だとのこと。なので、説明板も、昭島市が補助してくれる
ものでもないようです。過剰な期待は酷なので、しないことにします。
場所は変わって、
先の記事 の後半に書いた、西国分寺駅近くの「恋ヶ窪村用水」の説明板。
(2013年2月当時)
2015年8月、文字情報部分について印刷・ラミネートした紙を貼ってありました。
「当該地は今後整備予定があるため、この掲示は暫定措置です。
ご理解願います。」という但し書きがあります。
たぶん、原本探索でテキストは出てきたけど、地図は出てこなかったのでしょう。
文字の方は辛うじて読めてて、地図部分が致命的に欠けていたため、本当は
地図情報が暫定でもいいから貼られていたら、もっと嬉しかったのですが。
「読めない説明板」に関して何かしらの対策をとって頂いたこと、有り難いと思います。
2014年1月の訪問時に説明板が真っ白で読めなかったことをここで書きました。
2015年6月、行ってみてびっくり、「扁額(へんがく)」がありません。
(扁額は「神額」とも呼ぶようです。先日のブラタモリでは「神額」と言っていました)
落下紛失?劣化による処分?まさか盗難?など、暗いことを考えて帰宅。
ちなみに説明板は真っ白なままで、木の枝に隠れて見えなくなっていました。
2015年12月、どきどきしながら再訪。そしたら、何と真新しい扁額が!
栓材(ハリギリ材)やケヤキ材の他に、近頃は塩ビ製のものまであるそうですが、
ここのは石材で、頑丈そうな爪できちんと取り付けてあります。
かなり手をかけて、大事にされているという印象を受けます。
説明板の方はまだ真っ白でしたが、こちらにも期待がかかります。
とはいえ、後で調べたら、この風田社は市や都の史跡ではなく、地元の方々が
自力でお守りしている祠だとのこと。なので、説明板も、昭島市が補助してくれる
ものでもないようです。過剰な期待は酷なので、しないことにします。
場所は変わって、
先の記事 の後半に書いた、西国分寺駅近くの「恋ヶ窪村用水」の説明板。
(2013年2月当時)
2015年8月、文字情報部分について印刷・ラミネートした紙を貼ってありました。
「当該地は今後整備予定があるため、この掲示は暫定措置です。
ご理解願います。」という但し書きがあります。
たぶん、原本探索でテキストは出てきたけど、地図は出てこなかったのでしょう。
文字の方は辛うじて読めてて、地図部分が致命的に欠けていたため、本当は
地図情報が暫定でもいいから貼られていたら、もっと嬉しかったのですが。
「読めない説明板」に関して何かしらの対策をとって頂いたこと、有り難いと思います。
by centtama
| 2015-12-13 23:58
| 11月12月