2014年 11月 29日
史跡の管理について- 昭島市田中の風田社
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今年の1月、拝島大師に行く途中で見つけた小さなお宮
今昔マップで見ると、なんと戦前には、五鉄(五日市鉄道)武蔵田中駅から
分岐した砂利用支線の線路があった場所でした。
現地では全然気がつかなかった。
水路(昭和用水の支流?または湧水を集めた流れ?)も脇にあります。
このお宮の説明版。※写真が白飛んでいるのではありません。
文字が剥離または褪色してしまって、まるで読めないのです。
木製の扁額。一番上の字が「風」のようで少し違います。
でも、調べてみると、ここはやはり「風田社(ふうでんしゃ)」という神社のようです。
「風」は崩し字の書き方なのかもしれません。
せっかく板が立っているのに、書かれた文字が読めないというのは、
非常にもったいない。もどかしい。
最初に設置する予算はついても、メンテする予算はつきにくいのでしょうか?
きちんと管理する手間がかけられないからといって、何とかかんとか理由をつけて
史跡の指定そのものを解除されたら、もっと困ります。
こちらは、別の場所(西国分寺駅に近い分水と古道の説明板)。
文字は途切れ途切れで何とか解読できるものの、地図の肝心な部分が真っ白です。
市の文化財課という所にお聞きしたのですが、この看板の原本が残っているのか
いないのか、そこからして不明であるとのこと。心許ない限りです。
自治体によっては、少しずつ少しずつ、劣化した説明板の書き直しをしている
ケースもあります。どでかい施設の建設とかに比べてお金はかからないと思うのです。
別に板を真新しくするとか英語の併記とかはいいから、今ある資源を有効活用して
最低限、意味のある姿にしてほしいと思います。
上記「風田社」については、以下のサイトを参考にさせて頂きました。
http://risshi.life.coocan.jp/fuudensya.html
「街の神さま、仏さま」より
http://blog.goo.ne.jp/daimatsuno/e/f7b0804dfb6068391f4a3c1b1719af01
「多摩の神社準備室」より
http://kzmuraoka.wordpress.com/2011/07/10/7月10日:木瓜爺撮歩06-7-風田社と拝島山
「Choi-boke 爺ちゃん」より「7月10日:木瓜爺撮歩06-7 風田社と拝島山圓福寺」
今昔マップで見ると、なんと戦前には、五鉄(五日市鉄道)武蔵田中駅から
分岐した砂利用支線の線路があった場所でした。
現地では全然気がつかなかった。
水路(昭和用水の支流?または湧水を集めた流れ?)も脇にあります。
このお宮の説明版。※写真が白飛んでいるのではありません。
文字が剥離または褪色してしまって、まるで読めないのです。
木製の扁額。一番上の字が「風」のようで少し違います。
でも、調べてみると、ここはやはり「風田社(ふうでんしゃ)」という神社のようです。
「風」は崩し字の書き方なのかもしれません。
せっかく板が立っているのに、書かれた文字が読めないというのは、
非常にもったいない。もどかしい。
最初に設置する予算はついても、メンテする予算はつきにくいのでしょうか?
きちんと管理する手間がかけられないからといって、何とかかんとか理由をつけて
史跡の指定そのものを解除されたら、もっと困ります。
こちらは、別の場所(西国分寺駅に近い分水と古道の説明板)。
文字は途切れ途切れで何とか解読できるものの、地図の肝心な部分が真っ白です。
市の文化財課という所にお聞きしたのですが、この看板の原本が残っているのか
いないのか、そこからして不明であるとのこと。心許ない限りです。
自治体によっては、少しずつ少しずつ、劣化した説明板の書き直しをしている
ケースもあります。どでかい施設の建設とかに比べてお金はかからないと思うのです。
別に板を真新しくするとか英語の併記とかはいいから、今ある資源を有効活用して
最低限、意味のある姿にしてほしいと思います。
上記「風田社」については、以下のサイトを参考にさせて頂きました。
http://risshi.life.coocan.jp/fuudensya.html
「街の神さま、仏さま」より
http://blog.goo.ne.jp/daimatsuno/e/f7b0804dfb6068391f4a3c1b1719af01
「多摩の神社準備室」より
http://kzmuraoka.wordpress.com/2011/07/10/7月10日:木瓜爺撮歩06-7-風田社と拝島山
「Choi-boke 爺ちゃん」より「7月10日:木瓜爺撮歩06-7 風田社と拝島山圓福寺」
by centtama
| 2014-11-29 14:56
| 1月2月